2001年の冬、國岡徹は横浜にいた。 招かれたのは一夜限りのイベント、「マハラジャナイト」。 1980年代に社会現象を巻き起こしたディスコ〈マハラジャ〉を再現する企画だという。 かつて“クラブの自由”を追い求め、ディスコの表層を拒んだ自分が、いまそのディスコの記憶と向き合おうとしている――そんな皮肉に、彼は少し笑った。
入り口に黒服のスタッフ
午後6時。開場と同時に、入り口で黒服のスタッフが客を迎えた。 当時の店で働いていた人々が中心となり、ドリンクチケットの図柄まで忠実に再現された空間。 赤、青、紫――七色のスポットライトが音と連動して点滅し、ダンスフロアが断続的に闇に浮かぶ。 スモークの向こうからスティービー・ワンダーが流れた。 「ハッピーバースデイ」。 観客が合唱し、誰かの誕生日を祝っている。
バブルの熱狂
國岡は胸の奥に、懐かしい痛みを感じた。 1980年代後半、彼がまだ「くにてつ」というニックネームを持たなかった頃、 あの時代の空気を、ほんの少しだけ吸っていた。 バブル景気の夜。若者たちは未来を恐れず、ただ今を踊っていた。 あの熱狂の中にあったのは、愚かさではなく、生きる衝動だった。
レコードを回すDJ
「懐かしいね」。 会場のあちこちから聞こえる声が、彼の耳に届く。 札幌から来たカップル、福岡のグループ、大阪の仲間たち。 この夜だけは、時間の鎖が解けていく。 彼はふと、ステージ脇でレコードを回すDJに目を向けた。 「マハラジャは学校だった。ここで大人の世界を学んだんだ」。 DJがマイクで語り、観客が笑いながら頷いた。
ママやパパになった人たち
國岡は微笑んだ。 “あの頃”の若者たちが今や30代。 子育てをする母親もいれば、仕事に疲れた父親もいる。 それでも、音楽が鳴れば、体は自然に動く。 彼はその姿を見て、胸の奥で何かが再び灯るのを感じた。
切なく甘いメロディー
深夜零時。 マイケル・フォーティナティ、デッド・オア・アライブ、マドンナ、リック・アストリーーー。 1980年代の切なく甘いメロディーがフロアを包む。 曲のエンディングのリズムと、次の曲のイントロが重なり、終わりのない音の連なりが生まれる。 國岡はその波に身を任せ、踊り出した。
身体が覚えている
身体が覚えている。 リズムの取り方も、ステップの間合いも、すべてが自然だった。 音の中にいると、過去も未来も消えて、ただ「今」だけが残る。 隣で踊る女性が言った。 「この瞬間が好きなんです。曲の向こう側から、次の曲が聴こえてくるとき」 國岡は頷いた。 「それが、DJと観客が一つになる瞬間だよね」
フロア全体が揺れる
光がまたたき、フロア全体が揺れた。 歓声、笑い声、涙。 誰もが「終わりたくない」と願う夜だった。
「人が踊るかぎり」
彼は思った。 ――やっぱり、音楽は生き続けている。 あの頃の熱狂も、クラブの自由も、今日この瞬間も。 人が踊るかぎり、文化は死なない。
お開き
イベントが終わり、外に出ると冷たい2月の風が頬を刺した。 街のネオンは消えかけ、夜明けが近い。 國岡は深く息を吸い、空を見上げた。
踊りに導かれてきた
かつて夜を駆け抜けた彼はいま、昼の光の下で人々に踊りを教えている。 だが、この夜の熱狂は、確かに彼の心に“原点”を思い出させた。 音楽に救われ、踊りに導かれてきた人生。 それを次の世代に渡していくこと―― それが自分の使命なのだと。